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政治家を志すきっかけ

〜ハワイからの1本の電話〜

私は1976年に長崎県佐世保市で生まれ、その後福岡県に引っ越しました。北九州市の小学校に通っている頃から、政治家である父の姿を間近で見て育ち、大きな期待と責任を担う政治家の仕事の大変さを、家族として子どもながらに身をもって実感していました。選挙の時期が近づいてくると両親ともにほとんど家には戻れず、寂しい気持ちになっていたのを覚えています。

 

政治という仕事は、法律により社会問題の解決や将来の国の方向性を決めていくことが主になります。父は当選後も国会議員として国のために一心不乱で働いていましたが、有権者の方に直接的にお仕事を見てもらう機会も少なく、公人という立場上、時には心無い批判にさらされることもありました。そのような姿を見て育った私は、筑波大学国際関係学類の卒業が決まったころ、「将来は人に直接触れる仕事がしてみたい」と考えるようになりました。大学卒業後、多くの人の命を救う現場で働く医師という職業に就きたいと気持ちが日に日に高まり、両親に懇願して受験勉強の末に東海大学医学部へ学士(大卒枠)入学することができました。卒業後は子どもが大好きだったこと、小児科は子どもの内科の全体を診ることができることに魅力を感じ、小児科の道を選び、東京大学医学部小児科へ入局しました。専門医小児科医として、関東のさまざまな病院で研鑽を積みました。

 

私の運命を変えるきっかけとなった電話がかかってきたのは、病院で当直業務をしている時です。それは夜中にかかってきた患者さんのご家族からの1本の電話でした。

 

電話をかけてきたのは、ハワイに住む患者のお母さん。日本でホームステイ中の小学生の娘さんが、体調を崩しているという内容で、くわしくお話を聞くと胃腸炎を疑わせる症状であったため、私は通常の診察のように水分補給の方法や注意すべき症状、こういう時はすぐに病院へ受診してくださいと説明をしました。すると、そのお母さんは「あなたは医師ですか?」と聞いてこられたので、「そうですよ」と私が答えると「私の国では、自分が入っている保険だと電話で医師に相談することなどできないんです、日本はなんて素晴らしい国なんでしょう」と言って電話越しに大泣きされてしまいました。

 

私はそのお母さんのお話にとても感銘と衝撃を受けました。日本で医師として働いていると、患者さんの経済状況を理由に、医療を提供できるかどうかを医師が選択することはありません。もし、日本がそのような状況になったら、私は医師を続けることはできないな、と素直に感じました。

 

そしてこの1本の電話をきっかけに、すべての国民を公的医療保険で保障する「国民皆保険制度」は、これからの日本で絶対に守っていかなければならない、次の世代にも受け継いでいかなければならないという気持ちを、私自身強く持つようになります。

 

1961年にスタートした「国民皆保険制度」は、保険証1枚で「誰でも」「いつでも」「どこでも」平等に必要な保健医療を受けられる体制です。この仕組みにより、日本は世界でもトップレベルの平均寿命、健康寿命を誇る国となりました。実はこのシステムは、世界的に見ても珍しい制度であり、高い健康水準を実現できると海外からも高評価を受けています。

父の背中を見て郵政民営化等で制度が変わることを目の当たりに体験し、制度を守るためには政治の場にいないとできないと感じ、私は現役医師という立場のもと、日本医師連盟から参議院議員の公募に応募させていただき、さまざまなご縁の中で2016年に行われた参議院議員選挙に立候補させていただき、みなさまの本当に温かいご支援を賜り、当選することできました。

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